映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら」感想
2024/01/06
映画のタイトルと予告編から想像して、
タイムスリップ型恋愛物語かなと思いましたが。
実際の映画は、それ以上の深い内容で感動しました。
映画の最後に現れるタイトルが
映画を観る前と、観た後では全く違う印象になったのは驚きでした。
まるで、ヒーローの沈黙の言葉のようで、グッときてしまいました。
この映画を観ながら、色んな事が浮かんできました。
実際人間は色んな考えをお持ちで、
相手のことを理解せず、頭ごなしに間違っていると決めつけるのは
いけないことだなと思いました。
例えば
個人的なことをいうならば、正月の挨拶
この世が終わらないで、新しい年が明けたのだから
お・め・で・と・う!!でしょう
大切な方がお亡くなりになられたと思って、そのような挨拶はしたくないと
思われているのは理解しますが、
だからといって、正月の挨拶をする人に嫌悪感をもつのはどうなんだろう
こちらにしてみれば、神は死んでない。
この世に肉体をもっていようがいまいが神は永遠に生きつづけている御存在であって
アルファの時代には、帰天されたり、現世に出現されたりの繰り返しであって
珍しいことではない。
それと、帰天という言葉を使うと怒る人がいます。
何故怒るのでしょうか?
怒る人にとっては、帰天=死 だと思っているからではないでしょうか
しかし、こちらにしてみれば、帰天は本来の世界に帰ること
本来の世界に里帰りして活躍されているならば、それを応援したいではありませんか
普通の人であっても何度も転生輪廻して蘇るわけですから
ましてや、良い意味で普通でない方ならば、それ以上のことをなさるはず
大切なのは、信じる心をなくさないことではないでしょうか
何度も何度も祈っても、変化がない時に、祈りに答えないと思いがちですが
信じているならば、否、信じ切っているならば、答えのないところに答えがある
と気づくはず。
仏は約束を違えたことはない。
だから、今世も約束を違えない。
「先のある身と谷間の水は、しばし木の葉の下をいく」
ああ、なんだか、あの映画を観て、話が大幅に脱線してしまいましたが
主人公の彰は、きっと今世生まれ変わって百合に出逢う事でしょう
あれだけの強い絆で結ばれた二人ならば、
必ずや天上界の縁結びの神々も協力してくださるでしょうから
きっと