2025/04/15

今回の反省で気づいたのは
自分の心が歪んでいると、相手の姿も歪んで見えるということです
立ち向かう人の心は鏡なりという言葉もありますが
こちらの心が相手に写っているのだなあということに気づきました。
周りが全部悪人に見えるほどの心境の人は、そう見える人が悪人なのですね
ケチな心で見たならば、相手の人もケチに見え
豊かな心で見たならば、相手も豊かな人に見える
あと、これは何気に凄いなと思ったのが
あの世の風景
人は夢を見るとき、移動をともなった夢とか、場面が急に変わる夢は
霊界の夢を見ているといわれていますが
朝起きると夢で見たことはぼんやりとしか覚えていないし
時が経つにつれて急速に記憶がなくなっていくものですが
三途の川瞑想研修で見た景色は、時が経っても思い出せるし
まるで、体験した記憶のように鮮明なところが凄いなと思いました。
更にもっとすごいなと思ったのは
世界中で報告されている臨死体験の中で、神をみたという報告が多くされてますが
例えばキリスト教を信じている人はイエス・キリストとあの世で会ったというものです。
何がいいたいかといいますと
自分の場合エル・カンターレが大好きで、いつもお逢いしたいと思っていたんですが
なんと!まさか!!三途の川でエル・カンターレにお逢い出来るとは・・・
聴くところによれば、他にも沢山逢っていらっしゃるとのことです。
いや〜本当に驚きでした。
自分の場合デッカいデッカい大きな腕しか見えませんでしたが
研修中ずっと福徳増進祈願の御光と同じものを感じておりました。
あの祈願の御光がずっと続くのですから、もう、とけちゃうかと思っちゃいました。
本当にそば近くで見守ってくださっているという感覚が、実感としてあり
涙が止まらなくなりました。
神は死んではいない
神は眠ってはいない
神は隠れてはいない
現在ただいま、この世にもあの世にも存在する
マルチバースをも統治する御存在
それが始原の神の本質なんだと思いました。
とはいっても、鱗一枚、鱗の細胞ひとつを見ての感想にすぎないかもしれませんが
私にはどうしても隠れているという表現は嫌なのです。
だって、隠れるなんて卑怯なことされるわけないもん
宇宙に責任を持たれてる存在だもの
目に見えないから存在しない、そんなのナンセンス
愛は目に見えなくても確かに ある ように
愛の神の存在は
愛のあるところに神があり、神あるところに愛がある
真理は常に簡単なところにあるものなんだなあ、と
その様に思います。
2025/04/12

秘伝・三途の川瞑想研修は予期せぬ収穫がありました。
反省がもの凄く進むんです
予期せぬというのは人間心の考えで
本来は、もともと用意されたものなのでしょうね
ある方は、自分の命は惜しいと思ってなくて、いつ死んでもイイと思われていたのに
自分が死んだとき両親がどれほど悲しみに沈まれるか、実感されて
生きよう!と心に決めたそうです。
ある方は幼くして亡くなった子供に会えた人がいらして
それまで、その子供が気がかりで自分を責めていたのに
三途の川で出逢った実の子供から逆に癒やしと生きる希望を与えられ
まるで、生まれ変わった人もいました。
一方自分の方はどうかといえば
ホントにお役に立てなくてどうしようもなくて死ぬ予定だったのに
生きる希望が沸々と湧いてきて、これまでの人生無駄じゃなかったんだ
そう確信して、一歩前進したら、つぎつぎと不思議なことが周りで起き出して
本当にビックリしています。
心の問題として、関東のとあるフォトグラファーに関しては
それまでは、自分があれだけしてやったのに、全然お返しがない
鉄道にしても、飛行機にしても、美しい夜景にしても、色んな施設、公園があったり
私の尊敬してやまないお方の数々のゆかりの地、沢山の精舎
本当にもう撮るのに時間がなくて困るほど豊富な被写体があるのに
地方には一切チャンスを与えてくれない!!と嫉妬もしていました。
全くケチな人間だなと思っていたのですが
ケチなのは自分の方だと気づいたのです
そもそも住んでいる信州の大自然は神が創造されたもので
自分がつくったものではない。自分のものなど何もない。
それを、ちょっと案内した程度の役割
それに、もともとの出会いはTさんのお友達だった方で
Tさんから「あとよろしく」とか言われて、渋々引き受けたのがきっかけで
Tさんは心が透明な方で、御自身の出世よりも他人の出世を考えていらした方なので
自分もその志に共感して引き受けたのが始まりでした。
Tさんから紹介されたフォトグラファーには秘密の場所を全てお伝え出来ました。
出し惜しみはしていなかったのが幸いしたのか達成感が得られました。
心が奪う方向に向いていると苦しみになりますが
見返りを求めず与えきりにの気持ちになったとき、悦びになったのです。
どんな環境でも、例え精舎のひとつもない県に生きていたとしても
与える側で生きようと決意したとき、それまで予期していなかった
数々の不思議な出会いや、チャンスが次々と舞い込んできたのです。
奪う愛に生きていたときは、だれも助けてくれないと思っていたのですが
与えようと思ったときには、本当に驚きで助けてくださる方が
次から次へと現れて、驚きの連続でした。
心の向きを変えただけなのに、こんなにも周りがちがって見えるなんて凄すぎる
と思いました。
まるで、生まれ変わったようです。
秘伝・三途の川瞑想研修の瞑想中にお逢いした
地蔵菩薩の厳しくも温かいお言葉に溢れる涙が止まらなくなりました。
美しい菜の花のある壮大な土地が目の前に開けていました。
その菜の花が咲き乱れる地を飛び回って
その後、体が上昇したかと思うと、
美しいアヤメ色の田沢湖が見えてきました。
湖の周りを一周しました。
上空から眺める田沢湖はえもいわれぬ美しさでした。
遠くに海が見えてきました。
さらに上昇すると、仏の右手が見えてきました。
ああ、この壮大にも見える菜の花畑も
仏の手のひらの上で守られている世界なんだなと気づきました。
その時、柏手が2回鳴り響き
気がつくと元の研修場にいました。

2025/04/09

この三途の川瞑想研修、とっても面白いことに
このお話しすると、聞いた人の反応が両極端なんですよね
積極派とそうでない派にハッキリと分かれていて中間がいない感じです。
積極派の人は、いついつに行く予定!など、すでに受けることを予定している人
そうでない派の人は、受けない理由をもっともらしく言い訳するんです。
お金が勿体ないからとか、5月の研修に向けて頑張ってるときだからとか
自分ではない家族が受けましたとか、受けた人の体験話が良い話ばかりだから・・いやとか
まるで、もっともらしい言い訳をして自分自信に納得させているように思います。
例えば5月の研修を言い訳にしていた人は
5月が過ぎてみると、今度は7月のお祭りがあるので・・・と言って
7月が過ぎると、今度は、音楽祭があるので・・・と、言い訳されてました。
イケイケ系で本部からも評判良い方ですが、反省が苦手なんですね
反省からの発展をしないと、途中で道をそれていることに気づかず
大変なことになるかもしれない。
あるところでは、みんなを連れて研修に行ったまでは良かったものの
連れて行った本人だけ研修受けないで帰ってきたという人もいました。
「なぜ、あなただけ受けなかったんですか?」と聞いたら、上手な言い訳をされてましたけど
結局、最後の発表の時、かっこ悪い発表をしたくなかったんじゃないかなと思います。
やっぱり、プロの宗教家ならば自分のカッコ悪いとこさらして、後進の者の参考にしてもらわなきゃ
って思います。
お金のことを気にしている人は、
お金がないからこそ、この研修受けて豊かさを取り戻そうと思わなきゃ
って思います。
例えば、3年計画ぐらいで毎月いくら貯金するか決めて実行していけば
必ず3年以内、もっと早い時期に受けられる
心配な交通費だって、協力者が現れるかもしれない
本気で願う人には目に見えない力が働くものですけど
もっともらしく言い訳する人には永遠に助ける人が現れない。
と思います。
さて、
こんなことを書いてる自分はどうかといったら
この研修受けるの嫌でした。
なぜかって、見えてくる世界が自分が死んだあと行く世界とすれば
地獄なんて見たくないし、未知なるものは怖い
という気持ちが強かったのです。
それに、とんでもなく遠い場所に行かなければならないし
時間もお金も勿体ないなあ、なんて思ってたんです。
でも、研修受けたあとの気持ちは、この研修受けて本当に良かったなと思いました。
勇気を出して受けて良かった。
近年は次々と、元気だった尊敬する人があの若さで突然あの世に旅立って
自分だっていつ死ぬか分からない。
そうであるならばこそ、生きてるうちにあの世をロケして
死んでから迷わないようにしなければならないと本気で思いました。
本気を出したら、あれよあれよと予期せぬ事が起きて受ける道が整ってきたのです。
研修費が一泊二日と二泊三日、どちらにしようか迷いましたが
どちらも同じ値段だと聞いて驚きました。
実際、研修受けてみたら、さらに驚きでした。
だって、最初の二日で大満足状態でしたから。
良い意味でこれで帰ってもいい♪と思ったぐらい充実して
精舎側がまったく、出し惜しみしてないのが素晴らしかったです。
最初に研修生全員でお祈りをするのですが
この祈りの経文が、まるで詩編のように美しい言葉で
気がつくと涙が頬を伝わってきてしまいました。
おもえば、ここから神秘が始まっていたように思います。
それから、精舎のスタッフ全員が素晴らしい方ばかりで
気配りが最高なんです
まるで、東北のリッツカールトン?かと思ったほどの神対応ぶりに、
それだけでも幸せな気持ちになりました。
というわけで、最初から研修の話を書くと、それだけで日記がいっぱいになっちゃうので
バッサリとはしょって本番の話をします。
二日目の午後から一泊二日コースの人と合流しますが
岐阜のBさんは、いつも名古屋で祈願している祈願と同じ祈願を東北でもされるほどの熱心な人で
そんな方と同じ研修受けられて、とてもラッキーでした。
Aさんは御法話の後の瞑想の時から不思議な体験をされてました。
この御法話がスゴい!! 私も生まれて初めて拝聴させていただき「目から鱗」状態でした。
そして、いよいよ三途の川を見る時間がやってきました
見るというより、見えてくるですね(^^)
狭いトンネルを、もの凄い勢いで抜けると
広大な草原でした。
季節感はよくわかりませんでしたが
暑くもなく、寒くもなく丁度良い気温でした。
目の前には大きくて美しい川が流れていました。
対岸までの距離が、丁度、田沢湖と同じぐらいの距離感のある
かなり大きな川でした。
川上には立派な船がとまっていました。
川下には白と金色と朱色が混じった大きな橋が架けられていました。
「これが三途の川なんだ♪」
そう、思って一歩踏み出したら、次の瞬間対岸に到着してました。
えっ?
不思議に思ったので、神さまにお祈りしました。
「どうか神さま本当のことを見せてください。たとえ酷くても受け止めますから」
そう、お祈りしたら、いつのまにか元の位置に戻っていました。
そしてもう一度、一歩を進めると、今度はズブズブと体が川に沈みました。
水深はは2mぐらいあったように思います。
表面の5センチから10センチぐらいは濁りが薄かったものの
川の水は汚くて水の中では何も見えませんでした。
もの凄い水圧なのか、流れがすごいのか、なかなか前に進みませんでした。
地獄も見えてきました。
はじめ、真っ暗な世界で何も見えませんでした。
諦めずに再チャレンジすると暗闇の中でも、徐々に目が慣れてきて、何か見えてきました
最初に見えてきたのは、闘争と破壊の世界?
映画「ロード・オブ・ザ・リング」に登場するような悪者が騒いでいました
その鬼のような獣のような人が武器も持って襲って来た時
あっと思った次の瞬間、グイッと何かが上空に引き上げてくれて助かりました。
目には見えないけれど何者かが助けてくださったのです。
その他にも、人間の顔をした豚のような動物が歩いてる世界や
小高い丘が連なるような場所で
鋭いナイフやカミソリの歯、包丁の歯みたいのが
刃先が上に向いて地面に植えられている場所にも行きました。
その時は上空から見ている感じでしたので、
このまま落ちたら八つ裂きになるのは確実でした。
ガキ地獄では痩せた人のような生物が
しきりに何か取ろうとしているとこを見ました。
ところが、取ったモノを自分のモノにしようとすると、
ポッとすぐに消えてしまいます。
そんな場面を見させていただきました。
さて、やっとの思いで対岸にたどり着いたとき
救いにきてくださっていた地蔵菩薩は
硬く険しい岩の上にいて、なかなか近づく事ができませんでした。
いくら呼んでも、何も答えてくださらないのです
今にして想えば、救いに来てくださったのだから、
救ってくれて当たり前。みたいな慢心の思いが自分の心にあったのだと思います。
なかなかお返事がいただけなくて、険しい岩を登りはじめたとき
目の前に突如として現れました。
そのお姿はまるで地獄和尚そのものでした。
ああ、そういうことか・・・
私は覚悟を決め、
どんな事でも仰っていただいて構いませんから…
教えて下さい。と、頼みました。
すると、地蔵菩薩からは
とても人様に話せないような厳しい事を次々と言われました。
こちらがすでに忘れていることまで厳しく言われました。
そして、さらにこのように告げられました。
お前は主が何処にいるか分かっていないのか
いつもお前のそばにいて見守られていた事に気付かなかったのか?
誰に助けられたと思っている?
私は、涙が止まらなくなりました
その2につづく
2025/01/10

https://youtu.be/cJe3QkhP2ks?si=GxAWnnOiTqcYtI9m
今年の初詣は何処にしようかと悩んでいたところ
あっ、あそこだ!!とインスピレーションがありました。
昨年は本当に大変な年でした。
怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦 が強烈だった年でした。
その中でも良い事もあったものの、背負えないような苦しみと思えるものが
多かったように思います。
尊敬する知人の死にもショックを受けました。
特に驚いたのは岐阜のKさん
Kさんからは「愛のあとさき」の美しい詩篇を
教えていただいた。
未だ大手出版社から出る以前、何年も前の事
その内容の素晴らしさから
時代を下れば必ずや世に現れるものだと思いました。
今でも忘れられない思い出です。
そんな尊い事をされてる方が早死にされるなんて
これっぽっちも思っていなかった。
きっと、あの世も人手不足なのでしょう。
そんな悲しい事がいっぱいあった年でありました。
そんな時だからこそ、
尚更、人は信仰を大切にしなくちゃいけないんだと
思いました。
日本の神の最高神は天御祖神
その発祥の地である富士山の近くの地にどうしても行きたくなりました。
天御祖神は太陽のような御存在
世界で一番元旦の早い日本の地で昇る太陽を拝めたら
人生最高の幸せだと思ったのです。
元旦の日に山の頂上に登っている人は、せいぜい10人ぐらいかなと
思っていたのですが
実際に昇ってみて驚いたことに、何百人もの人が頂上にいたのです。
もしかしたら千人超えていたかもしれません。
山の頂上から下界を見渡せば、素晴らしく美しい世界
山の登り口には駐車場もあって、殆どいっぱいになっていました。
回峰行といって、歩いて巡る人たちも昨年と比べ2倍を超える人数で
関係者も驚いていました。
天御祖神を知る人はどのくらいいるか分かりませんが
この地にこんなにも沢山集まったのも偶然ではないように思います。
実際、太平洋から太陽が昇る瞬間を見つめてみると
青から赤に変化する大空の
その、壮大な美しさに感動して、うるうるきてしまいました。
ああ、こんなにも素晴らしい新春特別初日の出コースがあったなんて
いままで、なんで誰も教えてくれなかったのだろう
なんて、思っていたら。
ハッと気づくものがありました。
誰も教えてくれなかったと、人のせいにしてしまう想い
これこそが妖怪の思いなんだなと思いました。
実際、素晴らしいかどうかは別として
新春初日の出コースがあることを20年も前から知識として知っていながら
いつも寝正月していたのは人のせいではなく自分の怠け心
素晴らしいかどうかを確かめることすらしなかった
ずくなし人間でした。
たまたま同じ宿泊所に泊まっていた神奈川県のWさんは
20年間毎年参加していると教えていただき
自分の怠け心が恥ずかしくなりました。
そのWさんからは年越しそばがあることを教えていただき
それがまた、無料なのにめちゃ美味しくて新鮮な驚きがありました。
美味しいのを食べると何故か幸せな気持ちになります。
そして、なによりも、山の頂からみる絶景の世界
これはもう後には戻れなくなりました。
命ある限り続けようと思いました。


2024/05/26
詩集 私のパンセにある短い詩
『知』が
四倍近くにもなっていたことに驚きました。
楽しそうに歌っているようにしか思えなかった曲が
実は、霊言と同じ苦しみを伴って紡ぎだされていたことを知りました。
そうやって紡ぎ出された曲は既に450曲を超えているといわれています。
自らの命を削って紡ぎ出された曲の数々は
主の愛によって生み出されていた。
それを思うと涙が止まらなくなりました。
むかし、先生は知の原理についてこの様に教えてくださいました。
「知の原理とはね、なんであるかというと
実はこれがね、
神の創られた世界の中に潜む
大いなる愛を発見する作業であるということなんです」
「知を探求するということは
悦びにめぐり逢うということです。
なぜならば、神は私たちを喜ばそうとされ、
いろいろと探求される材料を与えてくださっているからです」
だからなんだなあ、
この曲を紡ぎ出されるときに詩の続きを生み出されて、
分かりやすく理解してもらおうとされている奥深い慈悲に感動したのです。
この原曲が、何故日光限定なのか、最初は分かりませんでしたが
何度か聴くうちに、そして、何度か振り返るうちに
少しだけ分かったような気がしました。
『知』が
四倍近くにもなっていたことに驚きました。
楽しそうに歌っているようにしか思えなかった曲が
実は、霊言と同じ苦しみを伴って紡ぎだされていたことを知りました。
そうやって紡ぎ出された曲は既に450曲を超えているといわれています。
自らの命を削って紡ぎ出された曲の数々は
主の愛によって生み出されていた。
それを思うと涙が止まらなくなりました。
むかし、先生は知の原理についてこの様に教えてくださいました。
「知の原理とはね、なんであるかというと
実はこれがね、
神の創られた世界の中に潜む
大いなる愛を発見する作業であるということなんです」
「知を探求するということは
悦びにめぐり逢うということです。
なぜならば、神は私たちを喜ばそうとされ、
いろいろと探求される材料を与えてくださっているからです」
だからなんだなあ、
この曲を紡ぎ出されるときに詩の続きを生み出されて、
分かりやすく理解してもらおうとされている奥深い慈悲に感動したのです。
この原曲が、何故日光限定なのか、最初は分かりませんでしたが
何度か聴くうちに、そして、何度か振り返るうちに
少しだけ分かったような気がしました。
2024/05/15
それが私の願いです。
2024/04/01

今から3万年前のある日、天から神々しいお姿の天御祖神が日本の地に降り立ちました。
その御存在は「天なる父」であり、「創造神」であられました。
天御祖神の天という字は天から天下ったのが由来となっています。
天御祖神の身長は25m
大川隆法総裁先生のセミナーで
「大海原の瞑想」という特別セミナーがありましたが
そのセミナーの中で大仏瞑想というのがございます
それは、富士山の頂上に降り、黄金の大仏となって
衆生を大悲の目で眺める瞑想でありました。
今にして思うならば
この大仏瞑想は、天御祖神の視点で世の中を観よということなのかな
と、思いました。
黄金の大仏になった気持ちで世の中を観ると
小さな人間心とは全然違った世界観で世の中を観ることが出来ます。
スーパーマンの映画のように、地球の人々の様々な悩み苦しみが一瞬でわかり
すぐさま飛んでいって、助けてあげたい。
そんな優しい心を持った御存在が天御祖神だったのではないかと想像しています。
さて、話を3万年前にもどしますと
当時、日本に住んでいた民は心が清く素直だったので
天御祖神を観て、神が降りてきたことを悟りました。
天御祖神は、当時の日本の原住民に秀真文字(ほつまもじ)を教えました。
そして、格闘技を教えました。それが相撲の原型です。
合掌してお辞儀する習慣を教えたのも天御祖神でした。
本当は日本の武士道の源流は天御祖神だったのです。
大和の地に降り立った天御祖神の夢は
この大和の国を夢の花開く国、桃源郷にせんと念われ
大和の心は世界に広がらんと願われました。
天御祖神が教えた真理は後のムー文明やアトランティス文明にも影響を与えています。
インドにも教えが広まりました。
中国に米文化を伝えたのは日本からでした。
すなわち、
富士王朝の開祖にして日本の創造神は天御祖神だったのです。
天御祖神がこの日本の地に降臨し日本は急速に文明が進化しました。
上の絵は、つかやんさんが天御祖神のお姿を描いてくださったものです
富士山を背に立つ黄金の力士のようなお姿が天御祖神です。
身長25mの天御祖神は奈良の大仏が立った状態と、ほぼ同じといわれています。
鳥居が特徴的ですね。
鳥居の下の中央が神が通られる道です。
人間が通る道は、両端の道です。
2023/11/12

日本に雨風が吹き荒れて
美しかった紅葉も落葉になりつつある今日この頃ですが
世の中には類い稀なる才能をお持ちなのに
なぜか出世されない方がいらして
常々不思議に思っておりました。
その方を仮にAさんとよんでみたいと思います。
Aさんは本業で、何度も出世祈願をされる熱心な方でした。
祈願の力は絶大だといわれますが
祈願をされたAさんが地方に来られた時には
天気までもが味方をして
雨の予報だったのに、雨が降らず、太陽まで顔をのぞかせる
そんなことが何度も起きたのです。
ある日のこと、Aさんは突然「今年はSさんのところで本業の仕事をしたい」
その様に仰いました。
たぶんこの言葉は出世を司る神さまからAさんへのインスピレーション
もしくは、インスピレーションを受けたSさんの守護霊からAさんの守護霊に
コンタクトがあったのだと思います。
早速、東北のSさんにそのことを伝えると
Sさんはとても喜んでくださいました。
Sさんは東北で精舎建立委員長も務められた実力者であり
人格的にも優れていて
Aさんの目指されている本業の出世には一番の手本となるような人物でした。
Sさんは一番良い時期にAさんの本業を後押しする機会をセッティングしてくださいました。
ところがAさん、それには参加出来ないとのこと。
田舎では、最初に提案した、言い出しっぺがドタキャンなんて許されないことなんですが
都会ではそれがアリなんでしょうか?
しかたなく、自分だけ参加させていただいたのですが
Sさんのプランは最高のものでした。
ときに、道なき道を進み、ときに、靴では歩けないところを歩き
その先には最高の瞬間が待っていました。
そのプランの素晴らしさに感動している時、突然Sさんが力強い言葉を発しました
「Aもこなきゃダメだったんだ!!不惜身命で来るべきだった!!」
私はその言葉に驚きました。
まるで、天から降ってくるような言葉だったからです。
Sさんは、ご自身の大切な時間を割いて
何度も現地視察をしてくださったのは明らかでした。
なぜなら、
次に行くところはこういう状態だということを既に知っていたからです。
一度も会ったことのない人のためにこれだけ尽くされていることに
感動しました。
Sさんの気迫は本気全開でした。
それは、まさに「無償の愛」、そのものでした。
その一方で
Aさんの出席できない言い訳を論破できない自分を恥じました。
いつも、ものすごく言い訳が上手で、これなら仕方ないかなと思ってしまうほど
言い訳が上手だった。
出世の神は本人を出世させるために、地上でも色んな駒を使って
出世の階段を昇らせようとしている。
私はその駒として、役不足であったなと思い、恥ずかしくなりました。
それに、Aさんの家族の理解ある協力も忘れてはならないと思います。
Aさんひとりの出世のために、家族がどれだけ無償の愛を与えているか
それは、もう計り知れないものがあります。
ああ、Aさんひとりの出世のためにこれだけ目に見えない力や目に見える人たちの支援があるのだな
出世祈願とはなんて、凄い祈願なんだろうかと思いました。
運命とは
自力と他力が共同作業して運命をつくっているといわれています。
運命が形成されてゆく姿は
高温で真っ赤に溶けたガラスの液体が、
やがて芸術的な器として固まってくゆく姿のように
神の眼には映るようです。
まず、真っ赤になって溶け出すという自力の努力がなければ、
どのような名人が、ガラスの食器の芸術品を作り出そうとしても、
それは困難なこと。
と、教えていただいてます。
映像作家のOさんが写真家としてもプロになったのは
やはり、出世作があったからだと思います。
出世作がその人を押し上げ本来の仕事をさせてくれるきっかけとなるものです。
あの湖に一面にかかる虹の輝き
あのような名作品は
本人の弛まぬ努力と、天が味方してくれないと実現できないものです。
今年もAさんには出世作が創作できそうなチャンスが巡ってきました。
丁度新しい道具にも慣れ、いよいよ本領発揮できそうな頃合いだったのでしょう
神が通ったと思われる道を進んでいた時、突如インスピレーションがあり
池に行くべきだと思いました。
それまでは、あの池に行くなんて事は全く考えていなかったにもかかわらず
なんか、それしかない。と思いました。
そしてAさんを駅にお連れしました。
駅からは歩いて行ける距離。タクシーだって使うことが出来る
撮影時間の制約もなく、好きなだけ没頭できる。
周りの景色を見れば、素晴らしく、池だって最高の状況だったことでしょう
ラストチャンスは最高のタイミングでした。
Aさんとは駅で別れ、自分は帰路につきました。
あの池でAさんはいよいよ出世作を創作するのだろうと思いました。
なんとかやりきったという安堵感がありました。
ところがAさん、最後のチャンスを掴まずに、そのまま帰宅してしまったのです。
チャンスの女神には後ろ髪がないといわれています。
あの池は次の日から天候が悪化し、風が吹き荒れ、落葉しました。
Aさんは交通の便の良い都会に住み、いくらでもチャンスがあると思われたのでしょうか
それとも、出世が怖かったのかもしれません。
いつもいつも、最高のチャンスを逃す人だったのです。
出世を恐れる理由は色々あると思いますが
その1つに時間があると思います。
出世すると後進のものに自分の時間を割かなくてはならなくなります。
Aさんは時間をとても大切にされる方で、他の人を待たしても自分の時間を守る人でした。
出世したらその自分の時間を守れなくなれます。
世のため人のために使う時間が増えるのです。
話を戻しまして
東北にお住まいのSさんは今年本業で出世され最高の栄誉を与えられました。
他の人のために無償の愛を与え続けるSさんには当然の結果だったのかもしれません。
いや、Sさんにしてみれば結果はオマケだと思っておられることでしょう。
数年前東大生だったMさんも出世されました。
日本の都会という恵まれたところに住み、恵まれた学問を学び尽くされましたが
都会の個人主義で生きている人とは違い、地方で住む人のためにチャンスを与える人でした。
学問を学ぶ貴重な時間を割いて、地方の人に神の学ばれた地を案内されたのです。
Mさんも又、「無償の愛」に生きる人だったのです。
今年公開された映画で、経営の神さまともいわれた主人公が
無償の愛を実践し、出世されましたが
無償の愛とは出世と密接な関係にあるのだなと思いました。
いまにしてみれば、Aさんは本業ではなく副業で「出世祈願」されるべきだったと思います。
なぜなら本業以上に副業で頑張られているから
有休も取らず、昼飯を食べず仕事に専念されるほど熱心であられる
そして、休みの次の日は早出してまで業務に専念されるほどならば
きっと、副業で出世祈願されたならば、成就したことでしょう。
私はAさんの後ろ姿から出世について大切なことを教えていただきました。
◎ 出世には無償の愛が大切
◎ チャンス(出世)の女神は前髪しかない
◎ 多くの人が与えようとしている(それに気づくことの大切さ)
◎ お陰様という言葉通り、まさにお陰様の人生!
◎ 神さまからあふれるほどの愛が降り注いでいる事実
◎ 運命は自力と他力の結晶作品
この様な貴重な学びの機会を与えていただき
本当にありがとうございました。
2023/09/17

戦後、日本の教育は間違ってきた。
宗教から遠ざかりさえすれば、第二次大戦のような
惨禍はさけられるものと、ひたすら無宗教化をすすめてきた。
その結果得られた、世界からの評価は、
色、金、欲にまみれた経済奴隷としての日本人の姿に象徴される。
理想も、理念も、正義も、気概も、
なにもかも、うち捨ててしまった「町人国家日本」は、
国家から背骨とでもいうべき「宗教」を抜き去ったら、
ただただクラゲのように漂うしかないということを証明した、
悲劇の文明実験国でもあった。
邪教の二つ三つが出てきたからといって、「宗教無用論」を
説くようでは、とうてい文明国家の国民とはいえぬ。
邪教が社会問題を起こしているからこそ、正しい宗教を擁護し、
確立し、人々を啓蒙すべきであるとの世論が興ってこそ、
文明国家の国民といえる。
信仰なきは獣の仲間である。
日本人よ、はやく人間の仲間入りをしなさい。
そして世界の一員になりなさい。
そのための武器こそ、積極的信仰告白である。
いざ、信仰告白の時代へ ー。
書籍「信仰告白の時代」より
2023/08/10

人はこの世に生まれてくる前に
両親と、伴侶を決めて生まれてくるといいます。
決して偶然に生まれてきたわけではなく、計画通りだったのにもかかわらず
そこで、文句を言う人と、感謝する人に分かれます。
たとえ、望まれない関係から生まれた子供であっても
必ずどちらかの親と縁があった子が生まれてきているといわれています。
そして、この地上で何十年か生き死んでいきます。
人間は死ぬと魂がぬけてあの世へと旅立ちますが
三途の川を渡るそうです。三途の川はあの世の川で
あの世の川を渡ると、もうこの世には戻ってこれなくなるそうです。
川の無い国では大きな湖を渡る人もいるようです。
長野県の人ならばおそらく、
千曲川か犀川か天竜川か木曽川を観ることになると推定しています。
川の渡り方も人それぞれで、
溺れそうになりながら渡る人
イエス様のように川の上を滑るように渡る人
立派な船に乗せられて渡る人など
色々です。
向こう岸にたどり着き、てくてくと歩いて行くと
やがて大きな建物が見えてきます
そこで、生前の自分自身の一生が
映画のスクリーンに映し出されるように上映されるのです。
そこで、自分の一生を観て後悔しない生き方をされたなら良いけれど
大抵は後悔するようです。
立派な生き方をした人であっても、もっと頑張れば良かったと後悔する。
ましてや、神が地上で法を説かれた時代ならば尚更ですね。
そして、そして
今世もっとも大切なことは、やっぱり信仰かなと思います。
だって、この地球も宇宙をも創造された存在があられたからこそ
私たちがあるのだから。
それに、人間には信仰の本能があるのだから。
動物には信仰の本能がない。しかし、人間には信仰の本能がある
動物と人間を分けるもの、それが信仰だといわれています。
そんなことを思いながら、生きているうちに自分自身の過去を反省し
死後、なるべく後悔しない生き方をしたいものだなあと思っています。
2023/07/25

昨年学んだエル・カンターレの教えを思い返してみました。
宗教は数多くのさまよえる人の集合に歩むべき方途を示すもの
シャカ族が潰されて釈迦が泣かなかったわけはないですね。
今世総てが認められることはないであろう
ただ、その中で自分の魂がいかに共感出来たかが問われる。
ロシア・ウクライナ戦争は必要なかった。
ウクライナが「中立に入りますよと言えばこの戦争はなかった。
EUはロシアと戦ったら負ける。
バイデンは頭が2つに分かれた宇宙人にみえる。
もし、2020年、トランプが勝っていたら
北朝鮮は核兵器やミサイルを飛ばさなかった
プーチンとトランプは仲が良かったのでこの戦争もなかったかもしれない。
ウクライナは民主主義ではなく、今、独裁国家になっている。
宗教の本道
地獄というのは科学が進んだといっても無くなったわけではない。
ただの一人もこの世に生き続けることは出来ない。
この世だけの努力と、あの世まで通した努力では、縁起の理法は完成している。
信仰心が一番
自分のために世界があるのではなく、世界の為に自分があるのだ。
唯物論が広まって、天国へも地獄へも行かない人が増えている。
この世とあの世を貫く幸福をハッキリさせる。
この世の幸福と、あの世の幸福を一致させること。
2023/07/12

人生を生きていると、
ほんの短い話の中に一生忘れられないような言葉を得ることがあります。
主の楽曲に込められたお言葉はそれ以上のものがありますね。
「愛は風の如く」の音楽を公演会場で初めて聞いた時
本気で会員になることを決意できました。
あの癒やし系の音楽を聴いていると
遠い昔、自分もギリシャにいたような気がして
その時のビジョンがさ〜〜と現れてくるような気がしてなりませんでした。
さて、幸福の科学の発展ぶりは信者であっても本当に驚きですが
その秘密の一端が、主のさりげないお言葉にあると思います。
こういう風に一回でも多く皆さんのお顔を見、お話が出来るという事は、
私にとってはこの上ない喜びであります。
今日、「常勝思考」の話をするに先立ちまして、
昼間・・・ぼんやりと考えていたんですが・・・
まっ・・近い将来、出来ればこういうセミナーは、日本武道館でやりたいなと思いました。
そして、日曜日はもちろん講演会でしょうから・・・東京ドームでやりたいなっ
と・・思いました。
出来れば3年以内にそうしたいと思います
私1人の力じゃないです。
会員の皆さんから、そうしたエネルギーなり、オーラなり、
そういうものが発散する事によって、
やがて、そこに一つの大きな磁場というのが出てくるんですね。
そうして、エネルギーの流れが始まってきます。
そして、エネルギーの流れというのが・・こう・・川のようになってくると、
周りに降っている雨であるとか、池であるとか・・
そうした水まで、全て吸い込んでくるようになるんですね・・・
このように人々というのは常に流れていくべき方向というものを求めているんです。
総裁先生はもの凄く大切なことを、さも当たり前であるかの如く、
さらっと仰るので
初めて聴いたときは、
その重要さに気づかないことも沢山あります。
御法話当時、会員数わずか数千人しかいない状態で
東京ドーム5万人で埋め尽くす事を誰が想像したことでしょう。
しかし、先生のお言葉通り3年以内に東京ドームで講演会がありました。
しかも、その日は平日だったにも関わらず
スタンド席がいっぱいだっただけではなく、アリーナ席もいっぱいでした。
いったいどこからこんなに人が集まってくるのだろうかと
不思議な気持ちでながめていました。
常に流れていくべき方向を指し示して下さる総裁先生のお言葉は、
まさに神の根源ですね。
2023/07/09
ラジオ番組・天使のモーニングコール
聞き逃してしまった方に
2年前の7月7日
総裁先生が観た夢とは・・・
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2年前の7月7日
総裁先生が観た夢とは・・・
2023/07/02

大川隆法先生は、お若いです。
年を追うごとに若返っていく感じです。
いくつになられても青年の心を忘れないのです。
何でもかんでも関心があり、
人の人生にも関心を持ってます。
そんな先生でありながら30代で壮年の話をされてました。
どの御法話だったか忘れてしまいましたが
「人生の壮年期頃になったら自分の失敗談を話しなさい」
「年齢が高くなると自慢話ばかりしたがるけれど、そうではなくて」
「失敗談が大切なんだ」
と仰ってました。
その様に語りながら、先生は30代でありながら
自分の失敗談を面白おかしく話されました。
人に教えを述べるのみならず、自らも率先して実行されてるのが
凄いなと思いました。
さて、
Sさんがまだ20代の頃、30歳までは結婚しないと決めていました。
ところがある日、先生とエレベーターでバッタリお会いしたときに
先生から「まだ、結婚しないのか」と言われたそうなんです。
Sさんはその時、まだ結婚はしませんと答えました。
その次に先生に会ったときにも先生から
「まだ、結婚しないのか」と聞かれました。
その時も、まだ結婚しませんと答えました。
さらに、次にあったときも先生は
「まだ、結婚しないのか」と仰いました。
さすがに3回も同じ事を言われると、
これは何か意味があるのではないかと思い、
Sさんは30歳まで結婚しないと決めていた自分の心を見つめました。
反省が終わるとSさんは、それまで結婚祈願などしたこともなかったのですが、
その時初めて結婚祈願をされました。
祈願の翌日、
とある女性職員から電話がありました。
「書類を届けるように言われましたが、
これからそちらにお届けしても宜しいですか?」
ということでした。
その女性が家に来たときに「どうぞ、お上がりください」
と言って部屋に案内し、
その場で、僕と結婚してくださいと言いました。
すると女性は断るかと思ったら、
「はい分かりました」と答えたそうです。
何度祈願しても効かない人がいます。
何故効かないか
それは、天上界の高級霊は本人の本心を観ているからです。
祈願書にいくらきれい事書いても
祈願者本人の心の中が本気でなかったら
奇跡は起きません。
しかし、本気であったなら
天上界はそのもののために対策本部まで創って応援しているのです。
エル・カンターレ霊団の全てを総動員してまで
その人に相応しい光を与えようとしています。
これが真実です。
Sさん、貴重な体験談ありがとうございました。
人は何かに執着しているとき、大切なものが見えないのかもしれません
Sさんは30代まで結婚しないというこだわりを持っていたので
赤い糸で結ばれたお相手が分からなかったのでしょう
こだわりという名の執着を捨てたとき真実が見えた
そして、行動する事が出来たのでしょう。
一方、Sさんと結婚された奥さんは執着がなかった
きっと奥さんがお祈りをしたとき、神は本人の真心を受け止めたのでしょう
だ・か・ら、チャンスが与えられた。
主よ信じます
といって、何もしない人がいます。
主よ信じます
といって、行動にうつす人がいます。
応援してくれる人が現れるのはどちらのタイプでしょう?
私が思うには
本当に信じたならば、行動せずにはいられないですよね
主を信じられる人ならば
お相手を信じることはたやすいこと
信じることによって見えてくるものが必ずあるはず
お互い頑張りましょう♪
2023/06/05

今日は特別に、先生の大切なことをお伝えするね
先生は信者一人一人のことを大変ご心配されています。
一人一人の心の想いに耳を傾けられ、良くなれ、豊かになれと願われています。
ある日、先生は夜遅くまで起きていらっしゃいました。
「今、一人、伝道している信者がいる
もう少しで伝道終わるから、それまで待っているよ」
総裁先生はたった一人の信者のために
睡眠時間を削って見守って下さっていたのです。
今から34年前の広島講演の時・・・
その日はとても良いお天気でした。
すがすがしい風の吹く5月の広島はとても気持ちのいい朝を迎えていました。
朝の十時を少し回った頃にお日様に変化があらわれてきました。
それは太陽の周りに光輪が出来たのです。日輪という人もいます。
それを見ていた人が感動で涙を流しました。
沢山の人が広島サンプラザに集まってきました。
その中の一人にAさんがいました。
Aさんはとても総裁先生が大好きで、
友人と一緒に先生の話を聞きたいと思っていました。
地元で大好きな先生の講演会があるということで
Aさんは誰かを誘わずにはいられなかったのです。
Aさんは友だちの来るのを首を長くしてまっていました。
でも、なかなか友人は現れませんでした
それでも彼女は先生の話を聞きたいのを我慢して友だちを信じて待っていました。
やがて先生のお話が始まる時間になりました。
5分が過ぎ10分が過ぎ30分が過ぎても友人は現れませんでした。
友だちに是非、先生のお話を聞いてもらいたい、その一心でまっていました。
やがて、先生のお話が終わると、人々がまた大勢通りすぎていきました。
Aさんの周りには人の気配がなくなっていきました。
そしてAさんは、一人とりのこされました。
一方、夕方の広島上空を飛んでいた飛行機の中の出来事です
飛行機の中、先生の頬に涙が流れました。
付き人は心配して尋ねました
「先生どうされたんですか?」
その時、先生はこう答えられたそうです。
「今日私が話したあの会場の外に一人の女性がいてね
彼女は私の話を聞きたいのを我慢して友だちを信じて待っていたんだよ。
・・・・。
先生はすべてをご存じでした。
もし、今、先生が心正しき人のために鏡の法をお使いになられたらどうなるでしょう?
復活を願う心、お元気でと願う心、与える愛の心・・・
周りの人がどんどん素晴らしい人格者となっていく姿を見ていると
もしかして・・・と思う今日この頃でございます。