2017/10/10

O・ヘンリの短編小説に「賢者の贈りもの」があります
経済的には貧しかったものの、心の豊かな仲むつましい夫婦が
クリスマスプレゼントを相手に贈るために
自分の一番大切なものを手放して贈り物を買い
相手にとどける物語です。
布施という事を考えるに、賢者の贈り物に似たものがあるように思います。
特にデラが自分の髪の毛を、その褐色の滝のように波打ち輝きながら身体のまわりに垂れている
その大切な髪の毛を手放す姿は、まさに信仰における布施の心と同じように思えるのです。
また旦那の方も、奥さんの為に自分の最も大切にしている物を手放し、プレゼントに換えました。
デラは旦那からのくしのプレゼントをみて、一瞬、なんとも言えない表情をしますが
すぐに気を取り直して、「髪の毛はすぐに伸びるから大丈夫よ」と心を希望に満たします。
髪の毛も人によって様々で、ラプンツェルのように豊かな髪の毛もあれば
白髪が交じっているものあれば、禿げ山のような方もいるわけです。
人によって髪の毛の量や質は違うわけです。
とある宗教団体の行事のひとつに、感謝祭というのがあって
それが唯一布施の額が決められていない人気の行事だったのですが
精舎で、ある日から式典の中で講師の話しがあるからということで一律3千円以上にしたそうなんです
すると、とたんに参加者が少なくなってしまったのです。
それを見て毎回ボランティアで受付している人が悲しんでいました。
それまでは、感謝祭にわずかなお金を布施する人もあれば、何万円も布施する人もいたわけです
信者は毎日、毎日、植福の卵に神に対するその日の感謝を小銭に託して貯めていたのを
月に一度の感謝祭に持ち寄り、お布施していたのです。
そのお布施というのは神に対しての感謝であって、講師の講話に対するものではなかったのです。
私は講師の方がお金を頂いて説法するのは良い事だと思っています。
内容が良ければ、3千円といわず3万でも10万でもとって講義したら良いと思います。
ただ、それは感謝祭の後にするべきでしたね。式典中に話しをするのは卑怯ですよ。
それから、布施は執着を断つ修行にもなると言われていますが
一口○○以上のお布施と額を決めて、今やらなければ永遠の後悔をするなどと脅して
それだけのお布施が出来ない人が、逆に執着になってしまうようなやり方は・・・
残念マックスです。
どうか、信者さんの純粋な念いを受け止められるだけの教団になっていただきたい
みんながみんな、ラプンツェルではないのですから。
日本で急成長した教団では、急成長の時期に信者がどのような事をしていたか、研究してみますと
その時期は教祖の説法を、1回の講義や講演を一つのテープとして2000円で販売してました。
信者はそのテープをすり切れるほど何度も繰り返し聞いて自分の心の栄養としていたのです。
マーケッターの神田昌典さんも世界の経営者、成功者のテープを聴いて成功された方です。
すり切れるほど何度も聞いて、そのバイブレーションを自分のものにしてしまう
ここに発展のヒントが隠されているような気がします。