2008/06/28
とある小説の中で
イギリスのウェールズ地方の小さな町では
毎年クリスマスイブになると人々は教会に集まり
祈りを捧げていました。
その町には古くからの言い伝えがありました。
それは、
もし、クリスマスイブに町の住人が1人残らず集まり、
ゆるぎない信仰をもって祈りを捧げるなら、
教会の鐘が12時を告げるその時、キリストの再誕が目の前で実現する
というものでした。
その古い言い伝えを信じ町人達は500年もの間毎年続けてきました。
しかし、キリストの再誕は未だ起こっていませんでした。
ある識者が町人にたずねました。
「あなたはクリスマスイブに、本当にこの町にキリストが再来すると信じてますか?」
すると彼は悲しそうに首を振り
「いいや、信じてないね」
「それならどうして毎年あそこに集うのですか?」
するとちょっと笑った彼は
「もしもその再来が起こったとき、おれだけそこにいないっていうのもね・・・
この物語を読み考え込んでしまいました。
500年間、本当にキリストは現れなかったのだろうかと・・・
いや、そんなことはない。
毎年毎年キリストはかかさずに現れたのではないかと私は思います。
ただそれは人の目には見えなかっただけではないでしょうか
仏教には念仏というのがあります。
念仏それは、仏を念う事、日々の生活の中で常に仏を念いながら生きれば
人間は悪をおかすことなく過ごすことが出来ます。
仏を想っている間、
仏はそば近くに現れ私たちを見守っていてくださるのではないでしょうか。
仏(主エル・カンターレ)は地球の裏側の木の葉一枚落ちるのも
全て御存知であるといわれています。
さすれば、クリスマスイブに町の住人が1人残らず集まり、
ゆるぎない信仰をもって祈りを捧げるなら、
かならずや主エル・カンターレの子、キリストは姿をあらわし、
信者らの傍らにきて見守りたもうことでしょう。