お金ない病にかかると
未来に対して小さく考えたり、成功者をねたむようになります。
そして、お金がない事を正当化しようとします
たまにお金が入ると、すぐに使ってしまったり
富を受け取るのが下手になってきます。
そしてお金がない事ばかりを考えるようになります。

この状況をなんとかしたい
お金のない病からなんとか立ち上がりたい
お金ない病の病を治す処方箋が欲しい
そう思われているあなたに再誕の仏陀から素敵なメッセージがあります

***

お金がなくて苦しんでいる人は、たくさんいることだろう。
高度に発展した現代社会では、経済力がつけば、
七、八割の問題は解決可能だからだ。

だが、本当はお金がないのではない。
自分の欲望を叶えるだけのお金がないのだ。
あるいは、
お金の手に入れ方や、お金の使い方を知らないだけなのだ。
そうでなければ、
知恵に不足して、無駄づかいや損をしているだけだ。

高額の医療費や、入院費用が払えなければ、
腹八分目を守り、よく歩くことだ。

子供の塾の費用が出せなければ、
学校の授業での集中と、自助努力の精神を教えることだ。

家が建てられなければ、
借金と相続税の憂いから解放されたのだ。

遊び金がなければ、
酒・ゴルフ・マージャンなどをやめればよいだけだ。

考え方を整理しなさい。

 大川隆法先生 心の指針「経済的苦境の打破」より

その答えは「太陽の法」にありました。
ノストラダムスも予言した救世の書「太陽の法」
この本に仏陀再誕の秘密が明かされているのです

映画「仏陀再誕」のエンディングソングの歌詞にも
その答えがありました。

そしてインドのアジャンター村にもあります。
アジャンター村では仏陀滅後2500年したら仏陀が再び生まれ変わるという言い伝えがあり
今でもそれはどの家でも語り継がれているそうです。
2500年後に生まれ変わってくるということは、
すでに仏陀は生まれているとアジャンター村の人は語っていました。

仏陀滅後2500年経った西暦1956年にはタイなどの仏教国では
大々的にお祭りが開かれました。
その1956年に仏陀が日本に生まれたのです。
これは真実の物語です。

では、ナゼ生まれ変わったのでしょう
仏陀は悟りをひらかれ、もう生まれ変わる必要もないはずなのに・・

それは、救世のために
人々が真理を求めているが事を知っているからこそ
仏陀は再誕したのです。
絶対真理を悟っているからこそ救いたいと願われたのです。
その大いなる慈悲の気持ちが
映画「仏陀再誕」には随所にちりばめられています。




映画「仏陀再誕」を観て義務感と使命感について考えさせられました。
同じ仕事をしていても、義務でする仕事と使命感でする仕事とでは
大きな違いがあるように思います。

一見義務感でやっている人と使命感をもってやっている人とでは
どちらも真剣で、同じように見えるのですが

義務感の場合、そうしなければいけないので
とか
決まりなので仕方なく
といった要素があるのに対し

使命感の場合
そう、させていただきたいから
とか
そうすることが心の喜びであるなど
より肯定的、積極的な要素と同時に
従順さや敬虔さがあるように思います。
それと念いにおいて透明さがあります。

義務感でやっている人は他の人がやらないと批判したりしますが
使命感でやっている人は、他の人がやろうがやるまいがに関わらず
たんたんとたんたんと無執着の境地で行っている感じがします。

映画のとあるシーンで小夜子が空野先生やシャーマンに言われた
「使命」という言葉
この言葉に映画を読み解く鍵が隠されていると思いました。




『さよなら仏陀〜♪そうつぶやいてから〜二千五百年』
・・・
ウ・ソンミンの「悟りにチャレンジ」が
あの映画「仏陀再誕」を観てから心から離れない
エンドレスで流れている感じです。

良い歌ですね〜
つい口ずさんじゃう

親戚のおばちゃんが、「ま〜んで 良い映画だった」って連発してた。
5歳ぐらいの子供がシアターを歩き回ってた
よっぽど嬉しかったんだねえ。
もしかしたら天使が見えたのかな?




空野太陽先生って優しくて誠実で意志がとっても強い人

いいな〜

空野先生みたいになりたいです。

空野先生は人を諭すとき

とっても穏やかに言葉を選んで話します。

それも心がポッと暖かくなることば。

それがいいんだなあ

霊能力も凄いけど

それをひけらかさないのがイイ!

大切なのは心の教えなんだとよくわかる

未来が明るく見えてきた。


ちなみに空野先生って、映画「仏陀再誕」の、

あの空野先生です。




先日森を散歩してきました。
秋色に染まった森の中を歩くと
まるで宝石箱の中に入ったような、煌めきに満ちた世界でした。

毎年秋になると不思議な思いをします。
それは山々や木々の美しさ

緑だった葉が様々な色に変化してくること
葉っぱは茶色く変色してそのまま枯れてもおかしくないのに
黄色になったり、赤色になったり、オレンジ色になったり
それも一面同じ色ではなく
あたかも芸術作品のように見事な配色を示しているではありませんか。

それはまるで紅葉を観て喜んでいる存在がいると知っているかの如く
見事な色合いを見せてくれています。

もしかしたらこの一年、生かされた事の
山や木々の感謝の気持ちの現れなのかもしれません
あるいは仏の降臨を祝う木々のシンフォニーなのかもしれません

紅葉を観て嬉しくなったり、感謝の気持ちが湧いてくるのは
そんな木々の気持ちが伝わってくるからなのかも
あたたかな午後のひとときでした。






今から9年ほど前「太陽の法」というアニメが流行っていた。
その映画の中で2500年前のインドにて仏陀がこのような話をされてました。

「見上げる天空に、何一つの偶然はない。
この地上にもまた、何一つ、偶然はない。
全ては木の葉一枚落つるも、仏の法則のもとにある」

「世界が闇に沈む時、必要なものは光
そのとき、我、再誕し、新たなる希望の光を示すであろう」

「今から2500年ののちである。
我、再誕し、東の都にて『太陽の法』を説くであろう」

「私は、今世初めて悟りをひらき仏陀となったわけではない
我は、久遠の昔より幾度となく地上に降臨し、仏陀として法を説いてきた」

「東の国にて降臨するは、我が魂の本体、すなわち本仏
釈迦大如来、大エル・カンターレ仏である」


映画「太陽の法」を見終わったあと、続編が観たいと思ってました。
今週末公開の映画「仏陀再誕」はこの映画の続編なんだなあと私は思いました。
なぜならこの映画には答えがあるからです。
仏陀のいわれた東の国とは何処なのか
仏陀とはだれなのか
使命とは何なのか

何一つの偶然はないとするならば、この映画が上映されるのも偶然ではないし
また、それを観て、人生の答えを知るのも偶然ではない

そんな難しいことを考えなくても単純に面白い映画だけど
何故か観終わったあとに心に残る映画

ああ、「仏陀再誕」が待ち遠しい
もう一度映画館でじっくり観たい



ついに、待ちに待った映画「仏陀再誕」の試写観てきました。

感動〜!!

いや〜面白かった!
今年のアニメNo.1は何ですかと聞かれたら
間違いなくこの映画が一番!!と言いたいです。

映画作品数多くあれど、見終わった後に何も残らないのが多いなか
この「仏陀再誕」は残りますねえ
なんかこう、もう一度観たいって感じというか
もっとすごい感じ
観たいというより、会いたいという感じが正確かなあ。
映画の主人公たちに会いたくなるんですねえ。

ストーリーも面白いし、クオリティの高さもすごいし、それに声優の充実ぶり
どれをとってもピカイチです。
日本アニメとして世界に誇れる映画が登場したんですねえ。
アニメを超えたアニメって感じです。

エンディングの曲一つとっても、まさに適材適所な曲なのです。
世に評価されている映画といえどエンディングの曲でシラケさせてくれる作品が多い中
この「仏陀再誕」は本当に適切で神々しく美しさに満ちているのです。
エンディング一曲で映画の全てが詰まってる感じ。
映画が終わってエンド・ロールが出てきても、その後の状況が出てくるから目がはなせない

もっとすごいのは、映画を観ていて心が温かくなる事です。
映画観る前気分が優れなくても、映画が終わる頃には身軽な心になり爽やかな気持ちになりました。
不・思・議・・です。

もしかして映画の中のあれが効いているのかなあ。
これはすごい映画です。
ホンキでお勧めです。






嘘つきって人を本当に不愉快にさせるものですが
最近観た映画での嘘つき野郎は愛せる嘘つきたちでした。
まず「ライフ・イズ・ビューティフル」
次に「聖なる嘘つき」
なぜかこの2作品。国も違う映画でありながらどこか似ています。
第2次世界大戦時のドイツ軍対ユダヤの民の物語。

「ライフ・イズ・ビューティフル」では愛する子供のために
徹底的に嘘をつきまくります。
最後の最後まで嘘をつきまくり
いよいよドイツ軍人に処刑されるときにも子供の前でおどけてみせ
笑顔で子供に別れを告げます。
あの最後の笑顔に心を揺さぶられました。
やがて彼の嘘は本当の出来事になるのです。

一方「聖なる嘘つき」では
生きる希望を見失い絶望が待ち受ける戦時下で
たった一つ、生きる原動力となったのは主人公の嘘による希望でした。
このようになってほしいという願いから嘘をついた主人公
同胞に対する愛でした。
それがユダヤ人の自殺を止めたのです。
彼の最後はユダヤ人が強制収容所に連行される時でした。
ドイツ軍の司令官に真実を述べるよう命令され脅かされます。
真実を述べればお前の命は助けてやると言われます。
でも、主人公は知っていました。
真実を述べれば同胞に失望を与えることを。
広場に連行された主人公はユダヤの同胞が大勢見守る中
ついに選択しました。それは無言でした。
無言にてドイツ軍人に対し笑顔で答えます。
それが彼の最後でした。

自分を守るためではなく他の人々の幸福のために嘘を突き通した主人公。
そんな彼らの真の勇気に乾杯




ようやく気持ちも落ち着き
7月1日の講演会の様子を書けるようになりました。

7月1日は私にとって歴史的記念日となりました。
何しろ仏陀にして国師であられる大川隆法先生の直接の説法を
拝聴する機会をお与えいただけたのですから、感激もひとしおでした。

以前研修施設で熱心な活動をされている幸福の科学の信者さんに出会いました。
その方は信者になって十数年経ったけど、まだ一度も大川先生のお話を
直接生で拝聴した事が無いと語ってました。
そのぐらい仏の直接の説法に出会えるのは難しいのです。

仏陀の書かれた書物一冊を手に取って読むことだけでも大変な事だと云われています。
むかしから
仏陀の直説・金口の説法を聴くは、三千年に一度咲く優曇華の花を見るが如く、
大海を泳ぐ盲亀が浮木にたどり着くが如く困難な事であるといわれています。
であるならば講演会でお話を拝聴させていただけるという事は
大変な大変な大変な大変な大変な大変な大変な大変な大変な大変な事であるのです。

その、ものすご〜〜〜く大変な事に平凡な私が何故参加できたのか
おそらくみなさん疑問に思われてることでしょう。

その答えは
「一般参加可能」だったからです。
ということは高名なお坊さんでなくてもよく
よほどの徳を積んだ人でなくてもよく
よほどの実績のある人でなくても良いって事。
信者であっても、無くても大丈夫だという事。
つまり私のような凡人でもお話を聞いて良いよということなのです。
なんというありがたさじゃありませんか。
こんな平凡な自分にもチャンスをくださるということは
国師大川総裁はよほど懐の広く深い方なのだなあと思いました。

当日会場に出向きまず驚いたのがその人だかり
開演まで何時間もあるのに、もう人が並んでいるのです。
それも、今まで一度も会った事の無い人ばかり、わんさかいるのです。
いったい何処からこんなに沢山の人が集まってくるのでしょうか。

そして
大川先生の講演が始まってさらに驚きました。

それは
ものすごく静かなんです。

始まる前まではガヤガヤとうるさかった会場が
お話が始まったときには、まるで鏡池の水がピーンと張りつめたように
物音一つしない静寂が周りに展開しておりました。
自分のメモしている紙の上をなぞる鉛筆の音が聞こえてしまうぐらい静かなのです。
まさに仏陀の直説・金口の説法を一言も聞き逃さないという
とてつもない真剣さを、そこに感じました。


10月4日にも大川隆法総裁 横浜アリーナ 大講演会があります。

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カッペリーニホープ
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長野県出身 
日光の瞑想センターで反省したら、
周りの景色が素晴らしく見え
それ以来写真を撮るようになりました。
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