今から3万年前のある日、天から神々しいお姿の天御祖神が日本の地に降り立ちました。

その御存在は「天なる父」であり、「創造神」であられました。

天御祖神の天という字は天から天下ったのが由来となっています。

天御祖神の身長は25m

大川隆法総裁先生のセミナーで

「大海原の瞑想」という特別セミナーがありましたが

そのセミナーの中で大仏瞑想というのがございます

それは、富士山の頂上に降り、黄金の大仏となって

衆生を大悲の目で眺める瞑想でありました。

今にして思うならば

この大仏瞑想は、天御祖神の視点で世の中を観よということなのかな

と、思いました。

黄金の大仏になった気持ちで世の中を観ると

小さな人間心とは全然違った世界観で世の中を観ることが出来ます。

スーパーマンの映画のように、地球の人々の様々な悩み苦しみが一瞬でわかり

すぐさま飛んでいって、助けてあげたい。

そんな優しい心を持った御存在が天御祖神だったのではないかと想像しています。

さて、話を3万年前にもどしますと

当時、日本に住んでいた民は心が清く素直だったので

天御祖神を観て、神が降りてきたことを悟りました。

天御祖神は、当時の日本の原住民に秀真文字(ほつまもじ)を教えました。

そして、格闘技を教えました。それが相撲の原型です。

合掌してお辞儀する習慣を教えたのも天御祖神でした。

本当は日本の武士道の源流は天御祖神だったのです。

大和の地に降り立った天御祖神の夢は

この大和の国を夢の花開く国、桃源郷にせんと念われ

大和の心は世界に広がらんと願われました。

天御祖神が教えた真理は後のムー文明やアトランティス文明にも影響を与えています。

インドにも教えが広まりました。

中国に米文化を伝えたのは日本からでした。

すなわち、

富士王朝の開祖にして日本の創造神は天御祖神だったのです。

天御祖神がこの日本の地に降臨し日本は急速に文明が進化しました。


上の絵は、つかやんさんが天御祖神のお姿を描いてくださったものです

富士山を背に立つ黄金の力士のようなお姿が天御祖神です。

身長25mの天御祖神は奈良の大仏が立った状態と、ほぼ同じといわれています。

鳥居が特徴的ですね。

鳥居の下の中央が神が通られる道です。

人間が通る道は、両端の道です。








日本に雨風が吹き荒れて

美しかった紅葉も落葉になりつつある今日この頃ですが

世の中には類い稀なる才能をお持ちなのに

なぜか出世されない方がいらして

常々不思議に思っておりました。

その方を仮にAさんとよんでみたいと思います。

Aさんは本業で、何度も出世祈願をされる熱心な方でした。

祈願の力は絶大だといわれますが

祈願をされたAさんが地方に来られた時には

天気までもが味方をして

雨の予報だったのに、雨が降らず、太陽まで顔をのぞかせる

そんなことが何度も起きたのです。

ある日のこと、Aさんは突然「今年はSさんのところで本業の仕事をしたい」

その様に仰いました。

たぶんこの言葉は出世を司る神さまからAさんへのインスピレーション

もしくは、インスピレーションを受けたSさんの守護霊からAさんの守護霊に

コンタクトがあったのだと思います。

早速、東北のSさんにそのことを伝えると

Sさんはとても喜んでくださいました。

Sさんは東北で精舎建立委員長も務められた実力者であり

人格的にも優れていて

Aさんの目指されている本業の出世には一番の手本となるような人物でした。

Sさんは一番良い時期にAさんの本業を後押しする機会をセッティングしてくださいました。

ところがAさん、それには参加出来ないとのこと。

田舎では、最初に提案した、言い出しっぺがドタキャンなんて許されないことなんですが

都会ではそれがアリなんでしょうか?

しかたなく、自分だけ参加させていただいたのですが

Sさんのプランは最高のものでした。

ときに、道なき道を進み、ときに、靴では歩けないところを歩き

その先には最高の瞬間が待っていました。

そのプランの素晴らしさに感動している時、突然Sさんが力強い言葉を発しました

「Aもこなきゃダメだったんだ!!不惜身命で来るべきだった!!」

私はその言葉に驚きました。

まるで、天から降ってくるような言葉だったからです。

Sさんは、ご自身の大切な時間を割いて

何度も現地視察をしてくださったのは明らかでした。

なぜなら、

次に行くところはこういう状態だということを既に知っていたからです。

一度も会ったことのない人のためにこれだけ尽くされていることに

感動しました。

Sさんの気迫は本気全開でした。

それは、まさに「無償の愛」、そのものでした。

その一方で

Aさんの出席できない言い訳を論破できない自分を恥じました。

いつも、ものすごく言い訳が上手で、これなら仕方ないかなと思ってしまうほど

言い訳が上手だった。

出世の神は本人を出世させるために、地上でも色んな駒を使って

出世の階段を昇らせようとしている。

私はその駒として、役不足であったなと思い、恥ずかしくなりました。

それに、Aさんの家族の理解ある協力も忘れてはならないと思います。

Aさんひとりの出世のために、家族がどれだけ無償の愛を与えているか

それは、もう計り知れないものがあります。

ああ、Aさんひとりの出世のためにこれだけ目に見えない力や目に見える人たちの支援があるのだな

出世祈願とはなんて、凄い祈願なんだろうかと思いました。

運命とは

自力と他力が共同作業して運命をつくっているといわれています。

運命が形成されてゆく姿は

高温で真っ赤に溶けたガラスの液体が、

やがて芸術的な器として固まってくゆく姿のように

神の眼には映るようです。

まず、真っ赤になって溶け出すという自力の努力がなければ、

どのような名人が、ガラスの食器の芸術品を作り出そうとしても、

それは困難なこと。

と、教えていただいてます。

映像作家のOさんが写真家としてもプロになったのは

やはり、出世作があったからだと思います。

出世作がその人を押し上げ本来の仕事をさせてくれるきっかけとなるものです。

あの湖に一面にかかる虹の輝き

あのような名作品は

本人の弛まぬ努力と、天が味方してくれないと実現できないものです。


今年もAさんには出世作が創作できそうなチャンスが巡ってきました。

丁度新しい道具にも慣れ、いよいよ本領発揮できそうな頃合いだったのでしょう

神が通ったと思われる道を進んでいた時、突如インスピレーションがあり

池に行くべきだと思いました。

それまでは、あの池に行くなんて事は全く考えていなかったにもかかわらず

なんか、それしかない。と思いました。

そしてAさんを駅にお連れしました。

駅からは歩いて行ける距離。タクシーだって使うことが出来る

撮影時間の制約もなく、好きなだけ没頭できる。

周りの景色を見れば、素晴らしく、池だって最高の状況だったことでしょう

ラストチャンスは最高のタイミングでした。

Aさんとは駅で別れ、自分は帰路につきました。

あの池でAさんはいよいよ出世作を創作するのだろうと思いました。

なんとかやりきったという安堵感がありました。

ところがAさん、最後のチャンスを掴まずに、そのまま帰宅してしまったのです。

チャンスの女神には後ろ髪がないといわれています。

あの池は次の日から天候が悪化し、風が吹き荒れ、落葉しました。

Aさんは交通の便の良い都会に住み、いくらでもチャンスがあると思われたのでしょうか

それとも、出世が怖かったのかもしれません。

いつもいつも、最高のチャンスを逃す人だったのです。

出世を恐れる理由は色々あると思いますが

その1つに時間があると思います。

出世すると後進のものに自分の時間を割かなくてはならなくなります。

Aさんは時間をとても大切にされる方で、他の人を待たしても自分の時間を守る人でした。

出世したらその自分の時間を守れなくなれます。

世のため人のために使う時間が増えるのです。

話を戻しまして

東北にお住まいのSさんは今年本業で出世され最高の栄誉を与えられました。

他の人のために無償の愛を与え続けるSさんには当然の結果だったのかもしれません。

いや、Sさんにしてみれば結果はオマケだと思っておられることでしょう。

数年前東大生だったMさんも出世されました。

日本の都会という恵まれたところに住み、恵まれた学問を学び尽くされましたが

都会の個人主義で生きている人とは違い、地方で住む人のためにチャンスを与える人でした。

学問を学ぶ貴重な時間を割いて、地方の人に神の学ばれた地を案内されたのです。

Mさんも又、「無償の愛」に生きる人だったのです。


今年公開された映画で、経営の神さまともいわれた主人公が

無償の愛を実践し、出世されましたが

無償の愛とは出世と密接な関係にあるのだなと思いました。

いまにしてみれば、Aさんは本業ではなく副業で「出世祈願」されるべきだったと思います。

なぜなら本業以上に副業で頑張られているから

有休も取らず、昼飯を食べず仕事に専念されるほど熱心であられる

そして、休みの次の日は早出してまで業務に専念されるほどならば

きっと、副業で出世祈願されたならば、成就したことでしょう。


私はAさんの後ろ姿から出世について大切なことを教えていただきました。

◎ 出世には無償の愛が大切

◎ チャンス(出世)の女神は前髪しかない

◎ 多くの人が与えようとしている(それに気づくことの大切さ)

◎ お陰様という言葉通り、まさにお陰様の人生!

◎ 神さまからあふれるほどの愛が降り注いでいる事実

◎ 運命は自力と他力の結晶作品



この様な貴重な学びの機会を与えていただき

本当にありがとうございました。













 戦後、日本の教育は間違ってきた。

宗教から遠ざかりさえすれば、第二次大戦のような
惨禍はさけられるものと、ひたすら無宗教化をすすめてきた。

その結果得られた、世界からの評価は、
色、金、欲にまみれた経済奴隷としての日本人の姿に象徴される。

 理想も、理念も、正義も、気概も、
なにもかも、うち捨ててしまった「町人国家日本」は、

国家から背骨とでもいうべき「宗教」を抜き去ったら、
ただただクラゲのように漂うしかないということを証明した、
悲劇の文明実験国でもあった。

 邪教の二つ三つが出てきたからといって、「宗教無用論」を
説くようでは、とうてい文明国家の国民とはいえぬ。

邪教が社会問題を起こしているからこそ、正しい宗教を擁護し、
確立し、人々を啓蒙すべきであるとの世論が興ってこそ、
文明国家の国民といえる。

信仰なきは獣の仲間である。

日本人よ、はやく人間の仲間入りをしなさい。
そして世界の一員になりなさい。

そのための武器こそ、積極的信仰告白である。
いざ、信仰告白の時代へ ー。


 書籍「信仰告白の時代」より





人はこの世に生まれてくる前に

両親と、伴侶を決めて生まれてくるといいます。

決して偶然に生まれてきたわけではなく、計画通りだったのにもかかわらず

そこで、文句を言う人と、感謝する人に分かれます。

たとえ、望まれない関係から生まれた子供であっても

必ずどちらかの親と縁があった子が生まれてきているといわれています。

そして、この地上で何十年か生き死んでいきます。

人間は死ぬと魂がぬけてあの世へと旅立ちますが

三途の川を渡るそうです。三途の川はあの世の川で

あの世の川を渡ると、もうこの世には戻ってこれなくなるそうです。

川の無い国では大きな湖を渡る人もいるようです。

長野県の人ならばおそらく、

千曲川か犀川か天竜川か木曽川を観ることになると推定しています。

川の渡り方も人それぞれで、

溺れそうになりながら渡る人

イエス様のように川の上を滑るように渡る人

立派な船に乗せられて渡る人など

色々です。

向こう岸にたどり着き、てくてくと歩いて行くと

やがて大きな建物が見えてきます

そこで、生前の自分自身の一生が

映画のスクリーンに映し出されるように上映されるのです。

そこで、自分の一生を観て後悔しない生き方をされたなら良いけれど

大抵は後悔するようです。

立派な生き方をした人であっても、もっと頑張れば良かったと後悔する。

ましてや、神が地上で法を説かれた時代ならば尚更ですね。

そして、そして

今世もっとも大切なことは、やっぱり信仰かなと思います。

だって、この地球も宇宙をも創造された存在があられたからこそ

私たちがあるのだから。

それに、人間には信仰の本能があるのだから。

動物には信仰の本能がない。しかし、人間には信仰の本能がある

動物と人間を分けるもの、それが信仰だといわれています。

そんなことを思いながら、生きているうちに自分自身の過去を反省し

死後、なるべく後悔しない生き方をしたいものだなあと思っています。


















昨年学んだエル・カンターレの教えを思い返してみました。


宗教は数多くのさまよえる人の集合に歩むべき方途を示すもの

シャカ族が潰されて釈迦が泣かなかったわけはないですね。

今世総てが認められることはないであろう

ただ、その中で自分の魂がいかに共感出来たかが問われる。

ロシア・ウクライナ戦争は必要なかった。

ウクライナが「中立に入りますよと言えばこの戦争はなかった。

EUはロシアと戦ったら負ける。

バイデンは頭が2つに分かれた宇宙人にみえる。

もし、2020年、トランプが勝っていたら

北朝鮮は核兵器やミサイルを飛ばさなかった

プーチンとトランプは仲が良かったのでこの戦争もなかったかもしれない。

ウクライナは民主主義ではなく、今、独裁国家になっている。

宗教の本道

地獄というのは科学が進んだといっても無くなったわけではない。

ただの一人もこの世に生き続けることは出来ない。

この世だけの努力と、あの世まで通した努力では、縁起の理法は完成している。

信仰心が一番

自分のために世界があるのではなく、世界の為に自分があるのだ。

唯物論が広まって、天国へも地獄へも行かない人が増えている。

この世とあの世を貫く幸福をハッキリさせる。

この世の幸福と、あの世の幸福を一致させること。








人生を生きていると、
ほんの短い話の中に一生忘れられないような言葉を得ることがあります。
主の楽曲に込められたお言葉はそれ以上のものがありますね。

「愛は風の如く」の音楽を公演会場で初めて聞いた時
本気で会員になることを決意できました。

あの癒やし系の音楽を聴いていると
遠い昔、自分もギリシャにいたような気がして
その時のビジョンがさ〜〜と現れてくるような気がしてなりませんでした。

さて、幸福の科学の発展ぶりは信者であっても本当に驚きですが
その秘密の一端が、主のさりげないお言葉にあると思います。

 
こういう風に一回でも多く皆さんのお顔を見、お話が出来るという事は、
私にとってはこの上ない喜びであります。
 
 今日、「常勝思考」の話をするに先立ちまして、
昼間・・・ぼんやりと考えていたんですが・・・
まっ・・近い将来、出来ればこういうセミナーは、日本武道館でやりたいなと思いました。

そして、日曜日はもちろん講演会でしょうから・・・東京ドームでやりたいなっ
と・・思いました。
 
出来れば3年以内にそうしたいと思います
 
私1人の力じゃないです。
会員の皆さんから、そうしたエネルギーなり、オーラなり、
そういうものが発散する事によって、
やがて、そこに一つの大きな磁場というのが出てくるんですね。

そうして、エネルギーの流れが始まってきます。
そして、エネルギーの流れというのが・・こう・・川のようになってくると、
周りに降っている雨であるとか、池であるとか・・
そうした水まで、全て吸い込んでくるようになるんですね・・・
 
このように人々というのは常に流れていくべき方向というものを求めているんです。


総裁先生はもの凄く大切なことを、さも当たり前であるかの如く、
さらっと仰るので
初めて聴いたときは、
その重要さに気づかないことも沢山あります。

御法話当時、会員数わずか数千人しかいない状態で
東京ドーム5万人で埋め尽くす事を誰が想像したことでしょう。

しかし、先生のお言葉通り3年以内に東京ドームで講演会がありました。
しかも、その日は平日だったにも関わらず
スタンド席がいっぱいだっただけではなく、アリーナ席もいっぱいでした。

いったいどこからこんなに人が集まってくるのだろうかと
不思議な気持ちでながめていました。

常に流れていくべき方向を指し示して下さる総裁先生のお言葉は、
まさに神の根源ですね。





 ラジオ番組・天使のモーニングコール
聞き逃してしまった方に




2年前の7月7日

総裁先生が観た夢とは・・・






大川隆法先生は、お若いです。
年を追うごとに若返っていく感じです。
いくつになられても青年の心を忘れないのです。

何でもかんでも関心があり、
人の人生にも関心を持ってます。

そんな先生でありながら30代で壮年の話をされてました。
どの御法話だったか忘れてしまいましたが

「人生の壮年期頃になったら自分の失敗談を話しなさい」
「年齢が高くなると自慢話ばかりしたがるけれど、そうではなくて」
「失敗談が大切なんだ」

と仰ってました。
その様に語りながら、先生は30代でありながら
自分の失敗談を面白おかしく話されました。

人に教えを述べるのみならず、自らも率先して実行されてるのが
凄いなと思いました。

さて、
Sさんがまだ20代の頃、30歳までは結婚しないと決めていました。

ところがある日、先生とエレベーターでバッタリお会いしたときに
先生から「まだ、結婚しないのか」と言われたそうなんです。

Sさんはその時、まだ結婚はしませんと答えました。

その次に先生に会ったときにも先生から
「まだ、結婚しないのか」と聞かれました。
その時も、まだ結婚しませんと答えました。

さらに、次にあったときも先生は
「まだ、結婚しないのか」と仰いました。

さすがに3回も同じ事を言われると、
これは何か意味があるのではないかと思い、
Sさんは30歳まで結婚しないと決めていた自分の心を見つめました。

反省が終わるとSさんは、それまで結婚祈願などしたこともなかったのですが、
その時初めて結婚祈願をされました。
祈願の翌日、
とある女性職員から電話がありました。

「書類を届けるように言われましたが、
これからそちらにお届けしても宜しいですか?」
ということでした。

その女性が家に来たときに「どうぞ、お上がりください」
と言って部屋に案内し、
その場で、僕と結婚してくださいと言いました。

すると女性は断るかと思ったら、
「はい分かりました」と答えたそうです。


何度祈願しても効かない人がいます。
何故効かないか
それは、天上界の高級霊は本人の本心を観ているからです。

祈願書にいくらきれい事書いても
祈願者本人の心の中が本気でなかったら
奇跡は起きません。

しかし、本気であったなら
天上界はそのもののために対策本部まで創って応援しているのです。
エル・カンターレ霊団の全てを総動員してまで
その人に相応しい光を与えようとしています。

これが真実です。

Sさん、貴重な体験談ありがとうございました。


人は何かに執着しているとき、大切なものが見えないのかもしれません
Sさんは30代まで結婚しないというこだわりを持っていたので
赤い糸で結ばれたお相手が分からなかったのでしょう

こだわりという名の執着を捨てたとき真実が見えた
そして、行動する事が出来たのでしょう。

一方、Sさんと結婚された奥さんは執着がなかった
きっと奥さんがお祈りをしたとき、神は本人の真心を受け止めたのでしょう
だ・か・ら、チャンスが与えられた。


主よ信じます
といって、何もしない人がいます。
主よ信じます
といって、行動にうつす人がいます。

応援してくれる人が現れるのはどちらのタイプでしょう?

私が思うには
本当に信じたならば、行動せずにはいられないですよね

主を信じられる人ならば
お相手を信じることはたやすいこと
信じることによって見えてくるものが必ずあるはず

お互い頑張りましょう♪







今日は特別に、先生の大切なことをお伝えするね

先生は信者一人一人のことを大変ご心配されています。

一人一人の心の想いに耳を傾けられ、良くなれ、豊かになれと願われています。

ある日、先生は夜遅くまで起きていらっしゃいました。

「今、一人、伝道している信者がいる
もう少しで伝道終わるから、それまで待っているよ」

総裁先生はたった一人の信者のために

睡眠時間を削って見守って下さっていたのです。



今から34年前の広島講演の時・・・

その日はとても良いお天気でした。

すがすがしい風の吹く5月の広島はとても気持ちのいい朝を迎えていました。

朝の十時を少し回った頃にお日様に変化があらわれてきました。

それは太陽の周りに光輪が出来たのです。日輪という人もいます。

それを見ていた人が感動で涙を流しました。

沢山の人が広島サンプラザに集まってきました。

その中の一人にAさんがいました。

Aさんはとても総裁先生が大好きで、

友人と一緒に先生の話を聞きたいと思っていました。

地元で大好きな先生の講演会があるということで

Aさんは誰かを誘わずにはいられなかったのです。

Aさんは友だちの来るのを首を長くしてまっていました。

でも、なかなか友人は現れませんでした

それでも彼女は先生の話を聞きたいのを我慢して友だちを信じて待っていました。

やがて先生のお話が始まる時間になりました。

5分が過ぎ10分が過ぎ30分が過ぎても友人は現れませんでした。

友だちに是非、先生のお話を聞いてもらいたい、その一心でまっていました。

やがて、先生のお話が終わると、人々がまた大勢通りすぎていきました。

Aさんの周りには人の気配がなくなっていきました。

そしてAさんは、一人とりのこされました。

一方、夕方の広島上空を飛んでいた飛行機の中の出来事です

飛行機の中、先生の頬に涙が流れました。

付き人は心配して尋ねました

「先生どうされたんですか?」

その時、先生はこう答えられたそうです。

「今日私が話したあの会場の外に一人の女性がいてね

彼女は私の話を聞きたいのを我慢して友だちを信じて待っていたんだよ。

・・・・。


先生はすべてをご存じでした。



もし、今、先生が心正しき人のために鏡の法をお使いになられたらどうなるでしょう?

復活を願う心、お元気でと願う心、与える愛の心・・・

周りの人がどんどん素晴らしい人格者となっていく姿を見ていると

もしかして・・・と思う今日この頃でございます。










復活の前にやるべき事

それは何だろうかと考ました

不思議な事に

お祈りを、すればするほどに

復活するのは弟子の方だ!という感じがします。

それは、本来の使命を自覚する事であり、

生まれてくる前の決意を実行にうつす事なのではないでしょうか

その第一段階として

やっぱりKさんが仰ったように、

山積みになった諸問題を一つ一つ解決していく事から始めたいと思いました。


末端の人間においては、使わないものの整理であろうと思います。

断捨離という言葉もありますが、不要なものを捨てると

本当に大切なものが分かってくる。

まず手始めに今後読む事はないだろうと思われる本を捨てた

ところ、まず感じたのは

とてもスッキリしたということです。

そして、ホンモノが浮かび上がってくる。


あと大切だと思われるのは、ムリ・ムダ・ムラを廃し

少しでも多く布施をさせていただきたいということ。

収入は上がらないのにあらゆるものが値上げして

その結果、財布が軽くなった。

軽くなるのは心にしたい。


法のところもなんとかしたい

仏の次に大事なのは法なので、法の中身の充実

もちろん、元々のはじめのところは素晴らしいのですが

途中で、法に穴が空くのがとても、とても残念な事なのです。


例えば「福徳〜」講義

○万円もする高価な拝聴料でありながらレジュメの内容が穴だらけ

というより、穴が広すぎて白紙の大地が広がっているレジュメ

そもそも精舎限定で、それを学ぶために早起きして何百キロも離れたところへ行き

たどり着いて、眠気と疲労と戦いながら、ようやく学ぶ事ができるのです。

ようやくたどり着いたときが夕方であると悲惨です。

一回拝聴しただけではよく分からないまま、帰らなければいけない

もしくは、学びの消化不良のまま眠りにつかなければいけない。

翌日以降、あの御法話は何だったのだろうかとレジュメもみても

さっぱり内容が分からない。

それでも、なんとか研修局のレジュメというかメモ用紙より内容はあるものの

参考資料としては、あまりにも内容が薄く、尚且つお話しとは違う語彙や言い回しなので

よく分からないし。

先生が、末端の人間にも分かるように、わかりやすく分かりやすく説かれた

例え話も、ごっそり、総てカットされている。

だから後でレジュメを読みかえしてみても何のことやら、さっぱりわからない。

繰り返し学べないようになっているのだ。

○万円もするお教えなのに・・・

これでは、地方に住んでいる人にもうしわけない。

法をないがしろにするのは仏弟子として許せない!!

そもそも法というものは、それぞれに尊く、値段の上下はないはずだ!!

といっても、私にはどうする事も出来ない。

せいぜい泣き寝入りするのが関の山だ。

ここの自主的改善を期待するしかない。

最近は精舎に行かなくても学べる事ができるようになって、

そこのところは ありがたいと思えました。

しかし、極めて学びにくく出来ている。

総ての法を学び尽くすといいながら

極めて学びにくくしている

せめてCDでも出してくれれば、繰り返し学べるのだが・・・

ここの改善はどうしても必要だ

本来ならば祈願された方に無料で御法話を拝聴していただき

お帰りの際、この学びを忘れないようにと誤字脱字のないレジュメを持って帰っていただく

そのぐらいの、与える愛があっても良いのではないか

それほど祈願が高価というのもありますが・・・

願わくば、伝道する人にこそ、この教えを繰り返し学んでいただきたい。

しかし、伝道する人は他に出費があるので、なかなか拝聴できない。

先生は「計り知れない価値がある」と仰った。

ならば、尚のこと伝道する人に学んでいただきたい。

先生の願いもそこにあると思う。

もちろん、沢山ある事の一つでしょうけれども

私にはこの事が一番大切な事に思えるのです。





















○○増進祈願。何かが違うなと思いました。

それはなんだろう?

導師の方は歴代最高のはずなのに・・・

その後、講義を聴いても解りませんでした。

三回講義を聴いたとき、ようやく少し解ったような気がしました。

それは、こちら側からの宣言というか約束というか誓願

ただ、聴いてるだけでは何もならなくて

なんらかのアクションを起こすこと

ある意味、実践

信じますか?と問われたときに、信じますと答えたときに

学びますか?と問われたときに、学びますと答えたときに

心があたたかくなるように

ロープが下ろされたときに、ロープを掴むときのように

こちらからも答える必要があるんだなと思ったのです。

精舎の祈願の時、導師と共に経文を唱える時間があるのですが

その時、最高に心があたたかくなるとき

だから支部でも、心の中で神に誓うとき

それがとても大切なんだと思いました。

今年の五月研修は、既に3月から始まっていたように思います。

様々な学びがありました。

様々な気づきがありました。

でも、もしかすると単なる助走期間だったのかもしれなくて

これからが本題かもしれない。

神はいつも、いついかなるときも手を差し伸べられています

その手を握りかえすか、かえさないかは本人次第

全拓の姿勢で、両手で掴むこと、いや全身でつかむこと

それが帰依の姿勢なんだと思います。





世の中には約束を必ず守る人がいて、すごいなあと思います。

約束したときは簡単に守れると思っても、

その後、色んな不可思議な条件が重なってきたときに

約束を守り切るというのは並大抵のことではないなと思います。

むかし、インドにゴータマシッダールタという王子がいました。

その人はやがて悟りを開かれ、仏陀となられました。

仏陀は約束を違えたことはない

2600年前、ケントマティーのジャブドーバーに再誕すると約束され

その約束を守って今世、再誕された。

そして、今世も約束を守られるだろうと信じてます。


話変わって今回の件

しかし、

それにしても情報があまりにもあまりにも少なすぎる。

前回は、ほんの数名の人が知っていただけで、なにも情報が流れなかった。

今回は

いや、今回もおそらく真実を知っているのは数名で

コアなる情報はまったく流れていないんじゃないかなと思います。

外的要因なのか、自らの意思なのか、それとも不可抗力なのか

もし、仮に自らの意思で大海原の航海に出たとされるならば

それを無理矢理引き戻すことが正しいことなのか、どうなのか分からない。


気持ちを切り替えて・・・

以前、たまたま参加した総本山七の日感謝祭で素敵な人にお逢いしました。

その方は千葉から来られた方で、式典が終わって歩かれていた姿が

まるでオーラが出ているようで、気がつくとその人に近づいていました。

そこでとても有用な情報を教えていただいたのです。

毎月の七の日感謝祭には四精舎を巡るシャトルバスが出ていて

その各精舎で七の日感謝祭に参加できるというもの

到着時間がそれぞれ違うのに、どうやって感謝祭に参加できるのですか?

と、素朴な質問をしてみると

「実はね、それぞれの精舎で、カレンダーの予定に入っていない七の日感謝祭があるんですよ」

な、なんと、そういうことだったんですか。いいなー

千葉から来られた方は私の気持ちを察したのか「一緒に行きませんか」

と言ってくださいました。

その柔和な顔、柔和な物腰、柔和な言葉、澄み切った瞳で

千葉から来られた方は、何度も繰り返して巡業していることを

無言のうちに私に教えてくれたように思います。

その日、一精舎限定で参加予定だった私は

頑張って2精舎巡りをしました。

すると、2番目の精舎でも千葉の人にお会いし

考え直して、ギリギリまで頑張ろう

そう思って、思いきって三精舎巡りをしました。

すると、3精舎目でも千葉の巡礼人徳者とバッタリお逢いし

ビックリしました。


ある講師が、七の日感謝祭で、こんなことを教えてくださいました。

主は、七の日感謝祭などに集って
何も求めずに参加される信者が来ると
元気が出られる。

そうだったんだ!!

元気が出られるんだ。

ああ、それならば・・・わたしも、なにか、元気づけてあげたい

そして、自分もあの千葉からこられた人のように生きたいものだと

心に誓ったのでした。











長野県には行基菩薩が開湯したとされる温泉がいくつかあり

別所温泉、渋温泉、野沢温泉が有名です。

特に野沢温泉は行基が小菅山に向かう途中、

野沢にある源泉が霊泉であることを悟り周辺住民に告げ知らせ

それで、多くの人が知ることになったということです。

行基菩薩といえば、

朝廷が寺や僧の行動を規定し、民衆へ仏教を直接布教することを禁止していた時代、

その禁を破って、階層を問わず、多くの人々に仏教の教えを伝えた方です。

また、奈良の東大寺大仏建立の際には、広く民衆の方に真心のお布施を勧進され

当時の国家予算を上回る予算を集め、大仏建立を推し進めた方です。

奈良の大仏は毘盧遮那仏とよばれ、太陽のように世に光を照らす御存在

つまり根源なるものであられ、仏の中の仏、神の中の神であられる御存在

それが奈良の大仏なのです。

その大仏のありがたさ、素晴らしさ、尊さを一番知っているのが

行基菩薩であり、その方が開湯されたところだからこそ

今でも人々に愛されている温泉なのでしょうね。

それからやっぱり野沢は神々にも好かれているところなんだね

その一つに温泉卵があると思います。






一口に温泉卵といっても、名ばかりの温玉が多い中

野沢の温泉卵は本当に温泉で出来てる温玉だからスゴイ!

だいたいは・・・

普通の水を湧かして、それを温泉卵だと称しているのがあったり

温泉地で作っているから温玉なんだよと言う人もあり

温泉のお湯を使って沸かしてるから温玉なんだよというところもあり

いろいろですが。

本当の温泉で沸かし湯ではなくそのままの状態から作る温玉を作っている野沢

やっぱり野沢には誠意があるよね

そんな誠意ある村人たちの集うところだったからこそ、

行基は温泉を開いてくれたんでしょうね。

温玉で美味しいのは、ちょっとひび割れしている卵

温玉がひび割れしていたら、ラッキー!!










大変参考になるお話しを頂戴しましたので

皆様にもシェアさせていただきますね。


まず最初の方はAさん

とある結婚相談所の紹介で結婚されました。

お互い再婚でしたが、縁あって結婚し、

お子さんが栃木県の有名な学園に行かれたまでは良かったものの

夫婦間での意見が合わず、その後がうまくいかなかったようです。

Aさんからのアドバイス

「今考えるに、一回会っただけで、早く結論を出せと言われてプロポーズしたけれど、
やっぱりある程度の月日をかけて相手を知るべきだったなと思います。
結婚した後に、こういう人だったと知ったけれども、
その時点では取り返しが効かないので、相手を知ってから判断すべき。
そうしないと後悔する。
たとえ同じ信仰を持っていても、合う人と合わない人がいる。
結婚前にそれを知らなければならない。
だからこれから結婚する人は、相手をよく知ってから判断してください」


そうでしたかAさん。大変なご苦労をされたのですね

でも、その時のAさんの笑顔が素晴らしくて

辛いおもいをされたけど、それを乗り切った爽やかさがとてもステキでした。

もしかしたらAさんの人生に必要な体験だったのかもしれないですね。


2人目はH精舎でバッタリ会った方

そのBさんは60代。

とある結婚相談所から、「もうお相手はありません。無理です」と言われてしまった。

Bさんは、そのお言葉を残念に思ったものの、

その後、結婚相談所に恨みをもつでもなく、淡々と祈りをあげたそうです。

「毎日毎日朝と夕方の一日2回「結婚祈願」を祈りました。
やがて半年が経った頃、一人のお相手と知り合う事になりました」


なんと、お相手の方はBさんより30歳も年下。4年間のお付き合いをして、今年の結婚。

知り合ったときは、お相手の方は信仰も違って何も知らない一般の方だったそうです。

しかも美人なのには驚きました。

やがて二人はお互い同じ信仰を持つことになります。

信仰が同じって心強いですよね

信じる対象が同じならば二人の絆は何倍にも増すと個人的には思っています。

Aさんのような場合もありますが

少なくとも子宝を有名学園に行かせた功績は大きなものがあったなと思います。


Bさん以外にも信仰の違う一般の方と結婚された方が、多数います。

なにも最初から同じ信仰である必要はないんですね。

付き合ってお互いを高め合う内に同じ信仰にたどり着ければ

これはこれで最高の御縁をいただいたのだなと思います。


そして3番目は50代の女性

Cさんは20代の頃から熱心な信仰心ある女性で

旦那さんも地区青年部長を務められた責任感あるお人柄

映画「ヘルメス愛は風の如く」のコスプレがとても似合っていたお二人

そのお二人が離婚されるなんて・・・誰も予想していませんでしたが

結婚の時期が早かったから熟年離婚の時期も早かったのでしょうか

Cさんは、ある日、とある結婚相談所の扉を開きました

気さくなY所長のアドバイスにしたがって、色んな場所の交流会に参加しました。

交流会が終わって、最後に「もう一度お逢いしたいカード」に相手の名前を書くのです。

これがまた不思議なカードでして

真剣な気持ちで、しかも無我な状態のときに書いたお相手の方とは

再び会うことが出来るのです

お互い連絡先も知らないのに、ある日どこかで・・・バッタリと

もちろん、結婚相談所の紹介で会うのが多いんでしょうけど

そうでなくても逢えるのが不思議なところ。

魔法のカードです。

もしかしたら

縁結びの神様が「もう一度お逢いしたいカード」をチェックしてるんじゃないかと・・

どう考えてもそうとしか思えない

だって、あり得ない状況で逢えるんですから

あ、話が脱線してしまいました

それで C さんですが

生まれたときから故郷を離れたことがなくて

ず〜〜と同じ市に住んでいて離れるのが嫌だったそうです。

「自分なりのこだわりを捨てないといつまで経っても相手は現れないんです」

そして、何度も交流会で知り合った相手の方とお逢いしたものの

「断ったり、断られたりで、なかなかお相手が見つからなかった
研修を受けて、もう故郷にこだわらない。どこにでも行くと決意したら
今の旦那さんが現れたんです。
うちの旦那は過去一度も交流会に参加しない人でした」


そう語るCさんの嫁ぎ先は同じ県内の人でした(笑)

車で1時間ぐらいしか離れてない、殆ど地元の人

映画「菩提樹」では、

「神がドアを閉じられたときには、神は別な窓を開けてくださる」

そんな台詞が何度もありました。

まさにCさんも、そんな感じでしたね。


たとえどのようなことがあっても、縁結びの神は最後まで応援している。

それが今回分かったことです。

やっぱりこの地球の神はどこまでもお優しい

もしかしたら、今あなたの傍らにいらっしゃるかもしれない。









先日精舎で集合祈願を受けたとき

同じ時間に、とある2人組が子宝祈願をされてました。

導師が読み上げるその経文を拝聴していると

内容の凄さに3回も驚いてしまいました。

そして、神の慈悲をビシバシと感じさせていただき

その経文に込められたおもいに感動しました。

導師も感動のあまりか、

途中で泣きそうになっておられました。

今まで自分は、子宝祈願というのは、

子供を授かる為の祈願とばかり思っておりましたが

そのようなものではなく、もっと根源的なところまで遡った

とっても深い意味のある祈願であることを知りました。

子宝のみならず、夫婦の絆を深める祈願でもあるんです。

やっぱり子宝は愛の結晶にて生まれてくるものなんですね。





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プロフィール
カッペリーニホープ
カッペリーニホープ
長野県出身 
日光の瞑想センターで反省したら、
周りの景色が素晴らしく見え
それ以来写真を撮るようになりました。
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